大器晩成 後半

東風平高根FANCLUB『相思樹』

2022/01/17 11:25

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歌手になるんだーって家を出て30年経つ。オリジナル曲ひとつない僕は歌手になって有名になりたかった。歌うことが好きで、たまにカラオケ行くと褒められる程度で歌手になる道を選んだ。

上京してからは毎日のように曲を書いた。朝目が覚めて良い曲が浮かぶと、良い曲が浮かんでるから今日はバイトに出れませんと電話した。バンドを組んだり、一人でライブハウスで歌ったり、下手くそながら出来ることを続けた。デビューに漕ぎ着けたのは34歳だったから、それまでの14年間は借金の水を被り何度も溺れそうになりながら必死でオールを漕いだ。そしてまたそれから18年も経ったのだ。


デビューしようがしまいが、誉められようがけなされようが自分の書く曲が大好きで、これは自分の転職だって思うわけで、当時居酒屋ライブとかで「何々の歌を歌って」とリクエストされても、のらりくらりとかわして頑なに自分の歌だけ歌い続けた。若さといえば違いないけど、絶対売れてやるこんちくしょーってギラギラしてた。うるさい客はうるさいから帰れとなったし、イベントで一緒になったアーティストが気に入らないと絶対口を聞かなかったし、「こんだけしかギャラが出せないんですけど出演できませんか?」って依頼されても「そんだけしか出せないなら出ません」って断ったし、まぁ偉そうにいつも不機嫌でいたのはあまりにも幼稚だけれど、「ここから這い上がって有名になってやる」って気持ちが人一倍強すぎて、自分の見せ方が分からず全てが敵とみなしていた。

 あっちでポキッこっちでポキッと心が折れて角が取れ丸くなった頃には50を過ぎてましたってな事で18年間の歳月は決して短くはない。


 売れたい売れたいと息巻いてた頃があって、借金を返すために歌ってた時があって、すっかり落ち着いて隠居生活のような音楽活動をしている今、僕の心はどうなのか?もうすっかり売れたい!と言う気持ちは無くなったのか?今の自分に満足してるのか?「歌手になる!」って上京した時のあの眼差しはもうこの顔にはついてないのか?

 確かに今では「歌うこと」だけの執着はなくなった。オリジナル曲だけを歌うってこだわりもなくなった。

でも「音楽を創る」楽しさは今まで以上かも知れない。

 尊敬していたプロデューサーが亡くなり、CDを売って行くメジャー路線での道が断たれ、新しい事務所に拾ってもらい再起をかけたものの、リーマンショックによる事務所の事実上倒産を受け、ソロ活動を始めた。この時40歳。ソロでの活動は念願と言えば念願でもあった。会社を作って誰にもどこにも気兼ねなく思う存分ライブをしようと、今まで誰もがやったことの無い方法で有名になる事を目指したのだ。それが「road to theBDK」だったのだ。


それが6年前。つい最近のことのように思うけど、思い出したく無い黒歴史もあって、傷口に触れないように夢をそっと置いてきたのかも知れない。


今僕は歌詞を書く技術も曲を書く技術もデビュー当時よりも格段に上がっているのを感じる。歌の表現力も今の方がうんと良い。新垣さんの「紅白に出るぞ!」の言葉に僕は「なるほど!」と閃きを持って納得した。

 僕の曲を色んな人に歌ってもらいたい。歌詞だけでも良い、曲だけでもいい。「みんなのうたで流れるような子供向けの歌から、おじいちゃんおばあちゃんに聞いて貰う歌まで俺なら書けるじゃないか」

 「そっか!」と僕は新しい夢をこしらえたのだ。2022年新春のこと。


「大器晩成」


まだまだ隠居するには早すぎる。

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